三島由紀夫氏は女系容認派?ではなかった?

国旗


去年12月12日の拙文(三島由紀夫は男系より世襲優先?)で三島由紀夫氏が女系容認派であったとすることへの疑問を述べたことがありますが,結局,どなたからもお答えをいただけませんでした.
このことについて,”新・へっぽこ時事放談”のspiral様より教えていただいた”三島由紀夫研究会”へ質問のメールを送ってみました.未だ直接お答えいただいた訳ではありませんが,同会のメルマガにご回答らしき一文があったので,その部分を転載させていただきます.
まず,以下の質問文

三島由紀夫研究会
(前文略)
一つ,標題にあります事項について質問させていただきたいと存じます.一水会鈴木邦夫氏は自身のHPで以下のことを述べておられます.

前に、このHPで紹介したが、三島由紀夫も同じことを主張している。それも、「憲法」にこう書けと言っているのだ。
天皇
天皇は国体である。
天皇は神勅を奉じて祭祀を司る。

皇位世襲であって、その継承は男系子孫に限ることはない。
注目すべきは3番目だ。単に女帝を認めているだけでなく、女系をも認めている。高森氏と同じことを言っている。それも、今から34年以上前にだ。三島事件は1970年で、今から34年前だ。その前に、この「改憲草案」を書いている。35年前か。そして、驚くべきことに、この時は、すでに皇太子(当時は浩宮)さまは生まれていた。そして、秋篠宮(当時は礼宮)さまも生まれていた。つまり、男子の世継ぎが生まれ、万々歳の時なのだ。そんな時に、「女帝」「女系」を考えていたのだ。これを漏れ聞いた人々は「三島は何て、不敬なことを考えているのだ」と怒っていた。この提案については三島は孤立無援だった。誰も賛同する人はいない。しかし、35年先のことを見越していたのだろう。やはり天才だ。

これを素直に観れば,三島氏は女系容認派のようですが,果たして本当でしょうか?
皇室典範に関わる議論は一般世論よりネット世論の方が圧倒的に盛んで,また順当な意見が多いことはご存じのことと思います.その中にあっても,上記のような三島氏の考え方については誰も言及しておりません.
当方が考えますに,明らかに国体の破壊に繋がっていくであろう女系への移行を三島氏が認めているとは思えません.よって,鈴木氏の誤解釈,または拡大解釈と考えていますが如何でしょうか?

ご教授いただければ幸いです.


それに対して,以下の記事(『三島由紀夫の総合研究』三島由紀夫研究会 メルマガ会報 平成18年1月23日(月曜日)メルマガ化第5号より転載).

(読者から)「ぶしょう」氏より
メルマガ4号についてですが、3番(三項?3条?)目は誰が言っているのか。
三島氏が言ったことはない。私は楯の会憲法斑に属していたが、條文は班員が考えた物で、氏が提言することはなかった。
最近間違いの多い文章が蔓延っていると思う。


盾の会憲法班に属されていた方から,はっきりと”三島氏が言ったことはない”とのご回答をいただいたようです.さらに,”最近間違いの多い文章が蔓延っていると思う”と述べておられますので,
どうやら三島由紀夫氏が女系容認であったというのは,鈴木氏の誤解釈または意図的な創作と云って良いと考えます.”言ってない”,すなわち,ここで改めて言う必要のないこととして男系というのは当然の前提であったと考えます.

筆者は文字通り”もののふのこころ”を体現されておられた三島由紀夫氏が,二千数百年に及ぶ伝統を瓦解させ,日本人の精神的支柱を奪っていくであろう女系容認論を認めてなどいなかった,少なくとも言及してなかったことがほぼ確定できて良かったと思います.

* 関係機関へのメールですが,官邸と岐阜県(筆者は岐阜在住)の自民党国会議員に駄文ではありますが,慎重に審議していただけるようにと送信しておきました.


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