皇統を法理で語るのは正しいのか?

すでに”日本の心を育むネットワーク”さんや”日本の傳統(伝統)を守らう!”さんが記事にしておられるが,皇室典範改正問題に関する自民党内閣部会の第5回勉強会が去る25日に開かれた.
これについて,日本政策研究センターの週間ニュースにその報告と若干のコメントという形で記事になっていたので,以下に全文を転載・引用させていただく.

 去る4月25日、皇室典範改正問題に関する自民党内閣部会の勉強会(第5回目)が開かれ、女系容認論の立場から笠原英彦慶応大学教授が意見を述べた。関係者によると、笠原教授は、「男系継承を維持することは非常に困難であり、有識者会議の結論の方向での改正は避けられない」と述べる一方、女系容認の典範改正は「皇室改革の入り口」との見解を明らかにし、皇室を「より開かれた、より国民に近いものとすることが必要」などと主張した。以下、勉強会の概要を紹介するとともに、若干のコメントを付けておきたい。

 笠原教授はまず、「男系継承は重い伝統ではあるが、側室制度が認められない現状では、皇室典範は構造的欠陥を抱えており、改正は急務」とした上で、「7割近い賛成を得ている女系天皇を容認すべきだ」と訴えた。また、旧皇族皇籍復帰について、「現皇室の系統と分かれて600年の歳月が流れ、皇籍離脱から60年近く経過しており、非現実的。国民の理解も得にくいし、この方策を強行すると国民の皇室離れという別の危機を招来しかねない」と断じ、「戦前回帰のアナクロニズムを感ずる」とも述べた。さらに、「皇婿」の選定について、「本人の意思が最大限尊重されるべきであり、旧皇族の子孫から選定するのは余りにも政略的」とする一方、「皇婿選びも、お后選び同様難航が予想される」として、その意味でも「より開かれた、より国民に近い皇室にすること」の必要性を指摘。典範改正は「皇室改革の入り口」だと結論付けた。



 一方、出席した議員からは「旧皇族皇籍復帰を考えている議員に、戦前回帰を考えている者はいない。認識を改めてほしい。また皇室が国民と同じになれば、存在の必要がなくなってしまう」「600年経とうが、(皇位継承者の備えとしての)宮家の存在意義は変わらない。なぜ皇籍復帰を追求せず、女系容認に走るのか理解できない」「まず男系維持の方法を考えるべきだ」といった批判や疑問が続出。これに対して笠原教授は、「実は自分も男系維持を期待はしているが、女系を容認しないと皇位継承が危ういという危機感がある」とか「戦前回帰という言葉は適切ではなかった」などと弁明じみた回答をした。

 ところが、今回も内閣部会を仕切る立場の甘利政調会長代理が、「皇統をつなげることが一番大切。元皇族の復帰をしても男系継承はいずれ困難になる」との持論を述べ、「『つなげる』ための方法をどんどん提案して欲しい」とまとめ、勉強会は終わった。

 さて、今回の勉強会で改めて明らかになったのは、いわゆる女系天皇容認論者が何を目論んでいるかということだ。笠原教授は皇室典範改正は「皇室改革の入り口」だと位置づけている。つまり、女系天皇の容認は「入り口」に過ぎず、さらにその先があるということだ。それが何かということはこの勉強会では触れられていないけれども、「世論」や「憲法」を基本線としてさらに「皇室改革」を推し進めるということであることは間違いない。そこには皇室を皇室たらしめている伝統などは出て来ない。これではいずれ天皇制度は解体してしまうと言える。

 甘利政調会長代理は「『つなげる』ための方法をどんどん提案して欲しい」と言ったが、本気でそう考えているのなら、「天皇制度解体」につながる女系容認論の勉強会など、もういい加減に止めるべきだ。責任ある与党に求められるのは、「如何にすれば万世一系の伝統を守ることができるのか」を前提とした議論以外の何物でもない。


慶応大学の笠原教授は皇統を伝統的・精神的側面から観ない典型的なリベラル系女系容認論者で,以前にもフジテレビの”報道2001”にて,その考えを披露していた.同番組でも,今回の部会と同じような薄っぺらい持論を述べていたが,筆者でも簡単に突っ込めるにも拘わらず,他の出演者は明確な反論をしなかったのが印象的だった.笠原教授の持論の殆どはあの有識者会議(不見識者会議と筆者は勝手に呼んでいる)の連中の劣化コピーである.
彼の思想は「戦前回帰のアナクロニズムを感ずる」発言に明確に顕れている.要するに,如何にご大層な理屈を並べようと,皇統を最終的には破壊したいとの欲望が見え隠れしている.彼のようなリベラル系の人間の狡猾なところは,その邪悪な本心をもっともらしい法理で誤魔化すところだ.以前のエントリーでも書いたが,日本の現法制度の下では天皇の法的正統性は伝統的正統性に勝るという法理優位観だ.これには「天皇であっても,憲法における法の下に平等である」,「男女同権だから,女性天皇でも構わない」といった言説も含まれるだろう.
法は何のためにあるのか,何処から生じたのかをよく考えれば,上記のような枝葉末節に拘ることが事の本質をはぐらかすための手段であることが分かる.一国の憲法はその国の古来から育まれてきた伝統や不文の規範から生じたものだ.そして日本の場合,その伝統や文化,規範が皇統とは切っても切れない関係にあることは誰も否定しないであろう.ゆえに法理論から云っても,天皇の伝統的正統性は法的正統性に勝るものと考えても良い.
日本の国会議員はこのような狡猾な女系容認論者の屁理屈に騙されないよう,熟慮いただきたい.上記の部会に対するコメントにもあるように,甘利政調会長代理は「『つなげる』ための方法をどんどん提案して欲しい」と言うのであれば,何故に最も現実的な旧宮家皇籍復帰に関する具体策を話し合おうとしないのか?,理解に苦しむ.
だが,部会メンバーは概ね,男系皇統の意義を理解してきたように思われるので,”日本の傳統(伝統)を守らう!”さんが呼びかけておられるように,国民の声を届けることは決して無駄ではないだろう.筆者も今一度,上記の愚論をメッセージとして届けてみたいと思う.


* 本エントリーをもって,はてなダイアリーでの最後の更新とします.これ以降はこちらで拙考を述べることとします.



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