日本の皇統とタイの王制

タイのタクシン首相の退陣に絡んで,名君の誉れ高いプミポン国王ラーマ9世)が助言を行って事態の収拾を図ったようだ(産経記事).
タイでは度々,政情不安や経済クーデターが生ずると,国王がその権限によって事態を収拾している.筆者が記憶しているのでは,1991年に腐敗したチャチャイ政権に怒った軍部がクーデターを起こした時,プミポン国王が閣僚や軍首脳を呼んで説得,事態を収拾したものがある.これをTVで見た時,強権をもった軍首脳でさえ国王の前に跪き,教えを請う態度に内心,王様って「すごいんだな」と思った.
タイ国家が生まれたのは13世紀頃だと云われている.最初のスコータイ王朝(1238-1438)から現在のチャクリー(ラタナコーシン)王朝(1782-現在)までの約770年の歴史だ.また各王朝が滅亡を繰り返して歴史を創っているので,そこには当然,戦いの歴史もある.

タイは1932年のラーマ7世の頃に絶対君主制から立憲君主制に移行してるが,未だに国王の権限は相当に強いようだ(衆議院英国及びアジア各国憲法調査議員団報告書,p109参照).わが国の天皇との相違の中で,最も大きいものは国軍の統帥権だ.明治憲法下に天皇にあった軍の統帥権を戦後もタイ国王は維持している.これはタイが実質的に日本の占領下にあったことが連合国側に認められて,断罪を逃れたことに起因すると云われている(実質的には国内の反日勢力が自由タイ運動を行っており,それを連合国が評価した).一般的には大東亜戦争当時,アジアで独立国であったのは日本とタイだけであると云われているが,現在のイデオロギー的観点から観ると,評価が分かれるところではある.また王位(日本では皇位)に関して,1974年には憲法改正によって女子による王位継承が可能となっていることが,わが国との大きな違いとして挙げられる(上記報告書,同ページ).
タイはわが国と同様に立憲君主,議院内閣制を採用している国とはいえ,上記部分だけを観ても当たり前のことだが,相当に国柄が違う.よく女系容認論者が用いる論に,「海外では女子による継承が広く認められているのだから,日本だって・・」という狭隘な理屈がある.この論にはイギリスやオランダの例と共に必ずタイの王制についても言及される.しかしながら,上記を鑑みれば,相当に国柄の違うタイ王国を例に出したところで何ら説得力など無いことは明白である(他の国も同様).
何といっても,王制の歴史がわが国とは全く異なる.歴史の深さと統治機構である.わが国は正史に刻まれただけでも1400年以上,神話の世界を入れると2660年,しかも万世一系で脈々と受け継がれてきた,または受け継がれてきたとされる非常に深い歴史がある.そして万世一系に顕れているように,武力を盾としない”しろしめす”で表現される非常に優れた統治機構である(”しろしめす”については以前の拙エントリーを参照されたい).王朝の滅亡を繰り返したタイの統治機構はやはり”うしはく”に他ならないだろう.
これは決してタイを見下して言っているのではない,その国の成り立ちは無数の周辺条件によって決められるものだから,日本が地政学的にも民族的にも恵まれた立場であったことを否定するものではない.要するに,すべてユニークであると云っているに過ぎない.その極めて希なるユニークをどの様に生かすかが皇統問題の本質であり,それを崩してはならないというのが我々,男系存続派の切なる願いである.

*今回はタイムリーなタイ王国との違いを絡めて皇統問題を考えてみました.

−参考WEBページ−


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