ネット言論を見回していると,保守系ブログは,ほぼ女帝容認,女系反対で固まっているようだ.

翻って,左派系ブログではこの時とばかりに女系を積極的に容認し,天皇の権威を破壊して詰まるところ,私にとってはアナーキニズム(国体破壊->極端な個人主義)としか思えない方向に議論誘導しているのが見え見えだ.
平河総研のメルマガに元産経新聞論説副委員長の花岡信昭氏が”皇位継承、「600年」と「60年」を乗り越えよ”というタイトルでこの問題について寄稿しておられた.



以下引用
「女性・女系天皇容認」「第1子優先」が決まってしまう雰囲気である。有識者
議の報告書を受けて、来年の通常国会皇室典範改正が行われる運びだ。
 これによって、皇太子殿下のあとは秋篠宮さまではなく愛子さまが即位される。
秋篠宮さまは即位の可能性を意識して、これまで暮らしてこられたのではなかった
か。有識者会議はそのご心境に思いをはせたのかどうか。
ともあれ、愛子さまが即位されると、ここまでは「男系の女性天皇」だ。だが、
愛子さまのお子さまが即位されれば、皇統は「女系」に移ってしまう。もっと分か
りやすくいえば、小和田家に移るといってしまってもいいかもしれない。
 「万世一系」というのは「男系男子」による継承が連綿と続いてきたという意味
である。性染色体の関係でいえば、男子はXY、女子はXXだが、Yは男子にしか
受け継がれない。ひとつのYが2000年余にわたって続いてきたところに、世界
最古の皇室としての歴史と伝統があった。
 有識者会議の結論は、少子化傾向などを理由に(社会風潮を皇室に当てはめるの
もおかしな話なのだが)、皇位継承者を安定的に用意することが難しくなったから、
「男系男子」の大原則を変えてしまおうというものである。
 過去には「男系男子」を維持するために、側室制度があった。明治天皇も大正天
皇も側室の子である。現代において、側室制度は認めがたいというのは分かる。
これ以外に、過去の歴史では、男系維持のため共通の祖先を探すということをや
った。たとえば、第25代武烈天皇から継承した第26代継体天皇は、約200年
さかのぼって、10親等の開きがあった。
 男系男子を維持するために、戦後、GHQの命令で臣籍降下させられた11宮家
のうち、男系男子のいる5宮家の皇室復帰という有力な案があった。だが、有識者
会議はあっさりとこれを退けた。
 その理由は、まず、この宮家と今上陛下の関係は600年前の室町時代にさかの
ぼらないと共通の祖先に行き当たらず、35親等から37親等の開きがある、とい
うのが1点。さらに、戦後60年間、民間人として暮らしてきたのだから国民が受
け入れないのではないかというのが第2点であった。
 この「600年」と「60年」が高い壁として立ちはだかったのである。本当に
乗り越えられない壁なのだろうか。
 600年を経ていても、Y染色体は同一である。男系男子の原則は維持できるこ
とになる。筆者などは悠久の歴史を感じさせて、いかにも世界最古の皇室としては
ふさわしいようにも思える。
 60年間、民間人として暮らしていたから困難、という理由は、有識者会議の報
告書でも論理矛盾が見られる。
女性・女系天皇の容認によって、女性皇族は結婚しても皇室に残ることになる。 
紀宮さま黒田清子さん)の例だと、民間マンションに移って民間人となるのでは
なく、夫の黒田氏とともに皇族として残るのである。黒田氏がどういう敬称で呼ば
れるようになるのかは分からないが、いずれにしろ、「きのうまで民間人であった男
性が皇族になる」のであり、そういう人が何人も生まれるのだ。
 報告書の中には「これまで皇族でなかった者が皇族になるのは歴史上、きわめて
異例」と言及している箇所がある。その異例なことが、今後は相次いで起きるのだ。
 「愛子天皇」の伴侶になる男性は「陛下」と呼ばれることになるのだが、おそら
くは「きのうまで民間人だった男性」である。そのことを考えれば、旧宮家の復活
は、60年間、民間人として暮らしていたのだから困難、という理屈と整合性が合
わなくなってくるのではないか。
 旧宮家から養子をとるという案もある。これでも男系男子は維持できる。
 いずれにしろ、皇位継承という日本の根幹にかかわる重大事が、皇室の見解も聞
かず、有識者会議なるものに全権が与えられたかのような状況下で決められていく
のはいいことではない。「600年」「60年」をめぐる論議をもっと徹底させるべ
きではないか。
引用ここまで

全くもってその通り.この600年と60年を非現実と言い切って,歴史上初の女系を容認する有識者会議とやらの論理的不整合.そもそも,何十親等,離れていようと男系継続の原理に則っていれば,そこに異議を唱えるほど我々平民は傲慢になってはいけないと思う.ただ,戦後一貫して日教組推奨教育を受けてきた一般人にこうした反論が通用するかどうか?ネットから拡がる言論や国会議員,メディアにもっと頑張ってもらって一般庶民に原則に沿った皇統継承論を理解してもらう他ない.

そこで,同メルマガに評論家 青葉ひかる氏の寄稿”芋の子は稲ではない”が.

引用     
稲の種を畑に蒔けば、稲ができる。そして、立派な米になる。
どの畑であろうと、稲を作るには稲を蒔き、麦を作るには麦を、蕎麦を作るには蕎麦を、芋を作るには芋を植えねばならない。
遺伝学的に証明されていることを、「種を男性、畑を女性」に例えると解かり易い。
畑には、その種次第で稲も麦も蕎麦も芋もできる。
稲が育つ条件を備えているどんなに良い畑であろうと、稲の種を蒔かねば、決して稲はできない。
稲を作るには稲を蒔かねばならないのである。
こんなことは子供でも解かることだけれど、我国の有識者といわれる先生方にはお解かりにならないらしい。
ロボット博士はやはり、ロボット作りにご専念いただくほうが、お国のためである。
引用ここまで

男系と女系の違いを平易に種と畑の根本的な相違に喩えるこの論は,元々農耕民族である日本人に非常に分かりやすい.左巻きに突っ込まれやすいY染色体理論より,こっちの方が伝統文化的?に 優しい論拠ではないかと思う.何れにしても,皇室に在る”希有な連続性”に対して,リスペクト出来るかそうでないかが分かれ目ではある.まぁ 何言ったって,確信的なサヨには通じないんだろうけど.Y染色体論を逆手にとって華麗に自爆している某著名ジャーナリストもいるようですが・・.