国を愛し,大切にする心

自(国を愛する心)公(国を大切にする心)両党で詰めるのなら折衷案で,いっそのこと標題の通りにしたらどうでしょう・・・それと,「宗教的情操の涵養(かんよう)盛らず・・・」にしても実質的に政教分離が限りなく怪しいオガミヤさんに言われる筋合いはありません.宗教的情操の涵養については文科省の審議会録にありますが,要するに”人智を越えた存在に対する畏敬の念を養いましょう”(突っ込み歓迎)ということです.
審議会録にもありますが,宗教的情操と云う考え方は特定宗教との関わりを否定し得ない見方もあるようです.しかしながら,万物を神として敬う多神教的思想の日本ではこういったことが昔から普通に行われてきたように思うのですが,どうでしょうか?例えば,「このお米は大地の恵み,大地から授かったものには魂がある,決して疎かにしていけないよ」なんてのも,当たり前のことではありますが,立派な「宗教的情操の涵養」だと思うのです.これを盛り込まないなんて,どう考えても道徳的精神の育みを阻害しようとしているとしか思えません.宗教という言葉に語弊が生じるのなら,「万物崇敬の涵養」とでも改めると良いように考えます.まぁ変な奴を崇め奉る某党なら何を言ったところで拒否反応を示すのは目にみえてますがね.

公明党は28日の文部科学部会で、与党が今国会への提出を目指している教育基本法改正案のうち、「国を愛する心」の表現を盛り込むことに反対する方針で一致した。同党が従来主張していた「国を大切にする心」の表現を使うか、新たに両案の折衷案を策定するかについて自民党と調整を進める。
 会合で太田昭宏幹事長代行が「『愛国心』は否定しないが、法制化は別だ」と発言。「自公両党で『国』が統治機構を含まないことに合意しており、それが明確に分かる表現を目指すべきだ」などの意見が相次いだ。執行部内には当初、国家主義を強制しないことを前提に「愛国心」の表現を容認する考えもあったが、党内の反対論が根強いことに配慮した。


前エントリーでも似たようなことを述べましたが,その国の伝統文化はその国の宗教的規範と密接な関係にあります.そして,それは日本という国柄の根幹を為すものですから,変えてはいけないものと筆者は考えます.現在の教育基本法改正に絡む方向性を観ていると,将来の日本人には伝統的な価値観や国柄の保持といった精神は不要であると言っているように映ります.これではアメリカ的合理主義や唯物論的世界観をもった人間が今以上に増えてしまって,皇統の破壊だって何の罪の意識も感ぜずに行われるようになってしまうでしょう.
皇統に関することで云えば,今現在も2660年前に日本という国の形態があるわけがないとか,神武天皇の存在ソースを示せとか言う空気の読めないサヨクがいますから.これらは皇統を歴史学的観点でしか観ることが出来ない典型的な合理主義者または唯物論者です.
現実的結論としてこう言うしかありません,
自民党さん,もういい加減にオガミヤを切ったら如何ですか!!」


もう一つの話題,
先日28日にチャンネル桜の”報道ワイド日本”という番組で以下の話題が取り上げられていました.
新潟県柏崎市に”トルコ文化村”なる施設があったんですが(平成17年に閉園になっているそうです),この施設の後利用に関してトルコ共和国側から柏崎市へ運営希望の申し出があったにも拘わらず,不可解にもそれを柏崎市長が無視していた?という疑惑について,柏崎市議の三井田(みいだ)氏が話されていました.これについては”反日ワクチン”さんがいち早く取り上げられていますので,詳細は反日ワクチンさんの”柏崎市長へ抗議を!!”,”トルコ大使の思い”をご参照下さい.また上記の三井田市議のブログにも詳細があります.
市長に不可抗力ではない何らかの思惑があるのなら,看過できることではありません.この市長は革新系らしいですから,ご自分の思想的にも矛盾するように思うのですが・・・それとも,市長にとっての友好親善対象国はまさか特亜だけなんてことはありませんよねぇ?筆者はまだ全体像を掴んでいるわけではありませんので断定できませんが,無視したのは事実のようで,しかもトルコに対して後利用に関する競争入札に民間企業と同等の立場で参加しろとまで言っているそうです.あまりにトルコという独立国家を舐めてませんかね.これは外交上でも拙いことですし,何といっても親日国家であるトルコに対する日本人の信義を問う問題でもあります.
反日ワクチンさんでも柏崎への抗議を促しておられます.リンク先をお読みになった上でご賛同いただける方はご協力下さいますようお願い申し上げます.


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