お上の言い分

新年明けましておめでとうございます.
今年も宜しくお願い致します.

といっても,未だ読者の方は少ないですが・・・一応,ご挨拶申し上げます.

しかし,今年はよく雪が降る.筆者の地方も50数年ぶりなんてドカ雪が降ったりして結構鬱陶しい(雪が降ると小躍りしてた時代が懐かしい〜♪).地球温暖化が進行しているなんていっても,実際に順当に寒い冬が来ると,素人ながら本当にそれが影響してるのか疑いたくなる.まぁ,最近の世界的な異常気象をみると,正常な気象独楽の回転がブレ始めているのは間違いないようだが,実質的には寒冷化と温暖化が適当な周期で交互に到来しているような感がある.


地球温暖化と言えば二酸化炭素だが,これによる温室効果だけがすべてのような公知姿勢には違和感がある.温暖化の根拠によく使われるこのグラフをみると,確かに1900年以降の100年の間に北半球の気温は急上昇している.だが,これが1900年以降の人間による生産活動の活発化に直接結びつくかどうかは判らない.
科学者は論文を書く際,ある考察を導くために関連付けたい事象間の相関性を思索する.これはこれで正しい検証の仕方ではあるが,仮にそこに正または負の相関があったにせよ,Aという事象がBという事象に100%依存していることを証明するものではない.あくまで”A-B事象間には何らかの関係がある”と言っているに過ぎない.
実際に,1900年以前の幾度かのミレニアムスパンにも同じような気温変動があった説(氷河期と温暖期)もあるし(田中宇氏”地球温暖化問題の歪曲”より),そもそも人類の生産活動由来の二酸化炭素が真犯人かどうかも解らない.また上記したように,温暖化に反する寒冷化もしばしば起こっているので,気象変動に対しては太陽の黒点活動などの非人為プロセスも相当に考慮すべきだろう.
問題なのは京都議定書批准以降の世の中の趨勢で,何でもかんでも”CO2を減らそう”でいけば世の中丸く収まるという考え方.勿論,自然環境を考慮する考え方に異論はないが,一つの学説が定説や法律になってしまうと,それがまるで絶対真理のように動き出してしまうのが恐ろしい.(”地球にやさしい”というキャッチフレーズは嫌いだ:地球に寄生させていただいている分際で環境を制御できると考えること自体,傲慢な考え方で”やさしい”なんて上からものを見ている証拠.それよりも自然からの恵みに感謝する思考を教える方が根本的な環境負荷低減に繋がる.)やたらに排出規制をかければいいってもんじゃないでしょうに・・・ただ,これは決して間違ったことではないだけに始末が悪い.大体,京都議定書では訳の判らん理由であのCHINAが批准(2002年)はすれど削減義務はナシ状態.このことでは必ず米国が反米屋どもに叩かれている.こればっかりはそれも解らんでもないが,本当に糾弾すべきは”発展途上国”を装って環境破壊しまくりのCHINAだろう(ったく・・エチゼンクラゲまでアンタのせいとは思いもしなかったよ).
CHINAが出てくるとつい熱くなってしまうが,話を戻すとヘンテコリンな学説・思想が法律にまでなってしまうと本当に困る.例の男女共同参画だ.これが聞こえの良い”男女平等”を笠にした共産主義者どもの巣窟になっていることを一体どれだけの人が知っているだろうか?正常なネット世論では周知のことだが,一般社会では大体好意的に受け入れられている.我が自治体でも,市役所の共同参画課だか何だか知らないが,あの筑紫サンを講演に招いて有り難いお話しをしていただいたそうだ.こういうお金はすべて”男女共同参画事業費”から出ている.しかも,その額は9兆円を優に超えているそうだ.無駄金どころか害悪そのもの.そしてまた,更なる恐怖はジェンフリ猪口センセー.安倍官房長官,おばば対策..お疲れ様です.この人は社会科学系の学者とはいえ,およそ学者とは思えないトンデモ理論推奨者で,本気で女性の社会進出推進が少子化対策になると思っているのか?彼女がよく用いている女性の労働力率出生率インチキ相関グラフの考察については林重義先生の本サイトで述べられているので省略するが,根本的にグラフの書き方が間違っているというか,見え透いた虚偽誘導を行っている.上に書いた相関云々以前の問題だ.GDPを恣意的に利用して,歴史的にも文化的にも背景の異なる国々を並べ立て祭ったところで,本質的な傾向など見えてくるはずがない.理系的に云えば,温度,圧力以外にも重要なパラメータがある”物性値”を温度と圧力だけで規定しているようなもんだ.
猪口センセー,とにかく余計なことはしなくて良いから大人しく9月を迎えて下さい・・・唯一のお願いです.

お上の言ってることが本当に理に適っているのか?
法律になったからといって不可侵なものなのか?
特に政治性が絡む最近の理論には必ずと言っていいほど,裏に何かヘンテコな思想があると考えた方がよく,そこを見抜く目をもちたいと筆者自身もいつも自問自答している.